わたしのHygge #08
いま、どのくらい疲れてる?
それを自分に問いかけるようになったのは、30代も半ばを過ぎてから。
肩こりや眠気といったわかりやすい形の疲れもあれば、
見過ごしやすい違和感として顔をのぞかせるものもある。
たとえば、本を開いても言葉の意味がまったく入ってこない。
きれいに並んだ文字の上を、目だけが上滑りしていく。
文字の形を眺めながら、あぁ、頭が疲れているなと気づく。
そんなときは、たいてい呼吸も浅い。
ゆっくり息を吸うと、久しぶりに肺を膨らませたような気がする。
これをさらに放っておくと、頭に熱がこもりはじめる。
私の場合、頭の中が忙しくなると香りの力を借りることが多い。
最近、大活躍しているのがアルジタルの「バルサミック ユーカリクリーム」。
あごから首、胸元まで広げると、途端に呼吸が深くなる。
ピリピリしないから鼻の下にだって塗りこめる。
仕事中はもちろん、眠る前にもたっぷりと。
20代のうちは倒れる寸前までペースを落とせなかった。
いま同じことをすれば、長いことポンコツになるだけだ。
すべてが簡単に切り替わるわけではないから、まずは気づくことからでいい。
空を見上げたとき、しばらくうつむきがちだった自分に気づくように
少しずつ、体と心に意識を向けてゆるめる練習をするようになった。
ポンコツになるたび力加減を知り、自分の仕組みを少し理解する。
無茶してポンコツになっても、頑張ったなと甘やかせるようになった。
この体の複雑さや単純さのすべてを知ることは難しいけれど
どうにか折り合いをつけながら、できるだけ機嫌よく過ごしたい。
頭ではわかっていても、ずいぶんおざなりにしていた時期もある。
あのころ、もう少しだけ自分に意識を向けられていたら。
何の解決にならなくても、深呼吸するきっかけぐらいにはなったかもしれない。
歳を重ねるにつれて体はどんどん正直になる。
痛みも不具合も遠慮なく声をあげるようになるけれど、多少のガタつきや傷はご愛敬。
手をかければまだまだ動く。ときにポンコツな自分さえ楽しめるようになる。
越える、超えないにかかわらず、己の一線の目星と
回復の術を知っておくことは、愉快に生きるコツだと思う。
『Hygge あたみらへん』編集室 国分美由紀
編集者、ライター。熱海で生まれ育ち、現在は東京と熱海をいったりきたり。
話をきくのが好き。人見知りだが、たいてい信じてもらえない。にんじんが苦手。
0コメント