わたしのHygge #04
一日のハイライト
今日も人のいない夕暮れの公園(といっても森)で耳を澄まし、地面を見つめながら歩く。この森が動物たちの時間へと変わる前の、この時間に散歩をするのが好きだ。野鳥たちも住処に戻ったところなのか、わりと激しく鳴いている。2年前に病気をしたのをきっかけに、二人でせっせと散歩へでかけるようになった。毎日、小さきものたちの変化を愛でることで、自分の体も心も随分癒された。しかし、意識しないでいると忙しい日常に飲み込まれ、段々と散歩にかける時間は削られ、小さな変化に心が動かされることを忘れかけていた。世界を包み込んでしまったコロナ禍がもたらした産物、「時間と不自由」という贈り物によって再び散歩の楽しさを思い出した。
ある日、散歩しながら撮った「すみれ」の写真をSNSにあげると、それを見た東京に住む友人から「すみれご飯を一度やってみたかったの!」とメッセージが届き、びっくり。「すみれ」は食べられるのだ。すみれの砂糖漬けは知っていたが、食事に使おうと思ったことはなかった。友人は、「すみれご飯」のレシピの載った料理本の1ページを写真に撮ってすぐに送ってくれた。一面に濃い紫色のすみれがのったご飯の、その美しいこと! 早速次の日の散歩はすみれ摘み。たくさん摘んで彼女に送ることにした。次の日までもつだろうか、と不安もあったが美しい「すみれご飯」を無事食してもらうことができた。自分たちも数日後、たけのこご飯の上にのせて食べてみたが、変にクセもなくすっと馴染む美味しさだった。ご飯自体に塩味があるといいのだろう。調べると、おひたしや天ぷらにして食べたりもするそうだ。
コロナ禍によって否応無く世界中の人たちが「自分で作る」時間を持つことになった。パンもお菓子も、今まで作ったことがなかった人たちが一斉に作り出し、SNSは手作りのもので溢れはじめた。自分もその一人だけれど、何かを、夢中で作ることは本当に楽しいのだ。もちろん、今までも時間が全くなかったわけではない。自由であるが故に、優先順位が違っていただけだ。しかし、自分の優先順位とは何を基準に決められていたのだろう。
今は一日のハイライトがはっきりと浮かび上がる。すみれを摘んでご飯にしたこと、蝶々が蛹からかえって飛び立とうとしてるところに出会ったこと、珍しい鳥の鳴き声がきけたこと、手作りマスクを満足に作れたこと、面白い本に出会ったこと等々。不自由や不安がもたらした解像度なのだと思う。
今は散歩にいい季節だ。食べることができるものも多くあるし、虫や花の観察も。この後はきのこが待っている。人々が自由に行き来し、散策を楽しめるようになる日が本当に待ち遠しい。
松下理恵子
2007年にBACCO design & illustrationを設立。主にデザイン・イラストの仕事を中心に活動中。昨年から BACCOブランドもスタート。ユーモアを身につけたり、飾ったりをテーマに日常のちょっとしたアクセントになるようなものづくりを目指しています。常に何かしら探し門をしている日々。
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